黒粘板岩といってもピン!ときませんが、キウス周堤墓群4号周堤墓外辺から見つかった石棒の原材料でもあり、現代の私たちにとっては硯石としてなじみ深いものです。
近くに黒粘板岩の有名な産地・鳳来寺山ほうらいじさんがあったので黒粘板岩について調べてみました。
(黒粘板岩は硯石として採掘権があります。勝手に採集しないようにしてください。)
秘境電車として有名なJR飯田線(写真下左)に乗っていきます。
鳳来寺(写真下中)、昔から参拝のお土産として硯が有名でした。この鳳来寺山から硯石の材料となる黒粘板岩がとれます。こちらの黒粘板岩は金色の星が見える『金鳳石きんぽうせき』として珍重されています。
硯屋さんに、黒粘板岩を割らせてもらいました。
かなり、特異な割れ方をします、一定方向にだけ割れるクセがあります。
剝がれるようには割れるのですが、なかなか思うような形を割出すことが難しいです。
ノミで粗削りをした後、コンクリートにこすりつけてざらざらを削ります。さらにさらに削ってつやを出します。
縄文時代の人は、何で削っていたのでしょうか?
ここまでやって、石棒がとてもとても素晴らしいものと実感しました。
素晴らしいと実感した理由
〇まず、石棒を割り出すための石の確保が難しい。キウスから見つかった石棒はかなりかなり大きな石からでしかできない。(あの長さを確保するための大きな粘板岩は宮城県桃生郡の雄勝玄昌石だろうと推測)
〇石の性質上、単一の黒一色の石の確保が難しい。粘板岩は海底の泥が固まったものなので白い筋が入ったり、紫色がかったり、金色が混じっていたりする。(これからも雄勝の玄昌石では?と思われます。)
〇私たちは、工具として鋼はがねを使いますが、当時は鋼はない。石棒の両端についた模様はどうやって彫ったのでしょう?
〇また、粘板岩はもろい(乾燥で割れたりする)のでキウスの石棒ほどの細さを極めるのはかなりな技術。
…以上が硯屋さんと私の二人の『キウスで見つかった石棒』についての見解です。
実際に体験してみて、否が応でも『縄文時代のご先祖さま達』を尊敬しました。